2019年05月28日

2019年6月号  ’平成アンチテーゼ’への挑戦と、Progressive capitalism - 林川眞善

目  次
 
はじめに : ‘令和’の時代を歩み出した日本 
  
第1章 平成アンチテーゼへのチャレンジ 

1. 平成のアンチテーゼ
・Jim O’Neil氏

2.日本経済「アンチテーゼへの挑戦」
・日本経済低成長からの脱却
・安倍政権の成長戦略

第2章 Joseph Stiglitz氏の標榜する資本主義のかたち、
そして、中国共産党が警戒する民主化の動き
                    
1. Progressive capitalism 
(1)New liberalismからProgressive capitalism
・Progressive capitalism
(2)A new twenty -first century social contract
・A progressive capitalist reform

2. 中国の「五・四運動」(1919)と天安門事件(1989)

おわりに:米ハーバード大、ボーゲル名誉教授  

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はじめに:‘令和’ の時代を歩み出した日本

5月1日を以って、新元号「令和」の時代がスタートしました。堅苦しい各社の社説等とは異なり、新元号の「考案者」と目される中西進氏(この点について、彼は一切のコメントはしていませんが)が日経(2019/5/1)でのインタービューで、記者から令和の時代の日本はどんな国を目指すべきか、との質問に対して、彼は以下のように応じていたのですが、その言、極めてスマートに映るものでした。

「明治の前半まで、日本は外に膨張せず、小国であれという主張もありました。中江兆民はその代表です。小国として賢く、誇りを持って振る舞おうと。ところが、日本は途中から自らが大国とだと誤解をした。いま、もう一度、小国主義の議論をしたいものです。」そして
「小国とは、いわば真珠のような国です。真珠はどこに転がされても光っています。薄暗いところでも。平和憲法にもそんな輝きがありますね。輝いているじゃないですか、9条は。」

さて、令和の時代も平成と同様、日本の企業や産業界にとっての最大の課題は、AIやビッグデータなどを包含した広義のデジタル革命にどう対応していくかにある処です。と云うのも、アナログ時代に世界を席巻した日本企業はデジタル時代に入ってズルズルと後退してきています。その大きな要因は、社会の仕組みや企業の組織文化、更には経営者をはじめとする企業リーダーのマインドセットが、デジタル技術と「不適合」をきたしたからだとされています。とすれば、令和を光輝く時代にするには、平成のアンチテーゼから出発しないといけないということになる処、それを意識した論述が多々、極める処です。

因みに、米UCバークレー校教授のステイーヴン・ヴォーゲル氏は自著「日本経済のマーケットデザイン」(2018/12)で、まず日本経済が対峙する問題への ‘なぜ’ を明示し、つまり、第1はバブル崩壊後、規制緩和、企業統治の強化が唱えられてきたが、停滞が抜け出ていないという疑問。第2に労働規制の大幅改革にもかかわらず、労働生産性が向上していないのはなぜか。3つ目は官民挙げてIT革命に取り組んでいるのに、シリコンバレーのようなイノベーションを生み出さなかったのはなぜか、としたうえで、当の著者は「市場」が「法と慣行と規範によって統治される制度」との視点に立てば3つの疑問は自然と解けるというのです。

また、在日30年の異色のアナリスト、デービッド・アトキンソン氏の「日本人の勝負」(2019・1)では、日本には金メダルを取る潜在能力があるのに、それが生かされていないとして、人口減少を直視するとき生産性向上を目標とし、最低賃金を引き上げる戦略をとることで生き抜けると強調するのです。更に米カーネギーメロン大教授のリー・ブランステッター氏は日経(2019/3/18)に投稿の論考「イノベーションを阻むもの」で、日本の過去の輝かしい実績も現在の苦境も原因は一つ。つまり戦後の日本が欧米との生産性格差を驚異的なスピードで縮めてきた背景には日本企業の経営慣行と政府の政策の一体化がイノベーションを生みだすシステムを作り上げてきたが、そのイノベーションの生業が急速に変わってきており、この変化環境に対応していくためには、これまでの成功を支えてきた戦後システムの名残を一掃すること、そして画期的イノベーションを生む新興企業を目指せと論じるのです。そこに共通する言葉はイノベーションであり生産性の向上です。

この際、思い起こすのが、1997年の山一証券の倒産を機会に、動き出した日本経済のシステム変革の様相を、当時The Economist(1999/11/27)が「Restoration in progress」と題した特集で、それまで世界的評価を得てきた日本型経営システムも環境変化への対応として、企業ガバナンスの確保、危機管理の強化等が進められ、相応の収益の基盤再構築に向かい出したというものでした。そして気になったことは、実は上記各種論述が、20年前のそれと同じようなパターンを以って論じられていることでしたが、この時間差をいかように理解すべきか、それは環境が今や構造的にまったく変質していることに、思考様式がそれに応えられていない結果ではと思料するのですが、この点については後述する処です。 
いずれにせよ、その結果、相応の回復を遂げてきた日本経済でしたが、2008年の金融危機に遭遇するや、企業経営者はリスク回避が第一と、タイト・グリップで安全志向に向いだし、企業の革新につながる投資活動は鈍化、環境の変化にダイナミックに対応することなく今日に至ったことが、日本企業の地盤沈下をもたらしたとされる処でしょう。

勿論、当の日本では云うまでもなく、新たな「令和」と云う時代をうけての進取の日本経済を目指す議論は賑わいを呈する処です。その中でもこの4月、経済同友会代表幹事を退いた三菱ケミカル・ホールデイングス会長の小林喜光氏は、平成30年の日本経済を評して「敗北と挫折の30年だった」(日経ビジネス、2019/04/01)と断じ、こうした認識なくして次のステップは進めないと、激しく指摘するのです。これが経営の現場に身を置く者としての鋭い発言だけに、上記諸論を超えた、事態の極みを強く感じさせられる処です。それは、要すれば平成を‘拘束’した企業環境の克服、つまりアンチテーゼにチャレンジを、と示唆す処です。企業家としての発言としては正解でしょう。ただ、公表される経済指標にもかかわらず、安倍政府は、景気は回復基調にあると主張しています。では消費者の反応はと云えば、日を追ってネガテイブとなっています。つまりマクロ経済の視点からみると、当該政策運営で環境変化への対応への疑問が募ると云うものです。

・本稿内容
そこで、今次論考ではまず、小林喜光氏が断じる「敗北の時代」の実像を新としながら、デジタル化によるいわゆるデジタル革命の進行と云う新たな環境下、改めて「平成のアンチテーゼへの挑戦」をキーワードに、日本経済の行方を考察し、以って第1章とします。

もとより、こうしたプロセスを通じて経済成長が回復したとして、これで終わる話ではありません。つまり、そうした経済発展の成果が広く国民に恩恵をもたらすものとなることがより大きな課題と云うものです。云うまでもなくそれは、変化する今日的経済環境に照らすとき、現代資本主義の新たな生業を追求することを意味する処です。

その点で、米コロンビア大教授でノーベル経済学賞のJoseph Stiglitz氏は、5月3日付で、論壇 Project Syndicateに投稿した論考「The Economy We Need」で、いま求められる資本主義をprogressive capitalism, 進歩資本主義と称し、その生業を語るのです。
つまり、次なる資本主義の在り方を語る、示唆深い論考で、その思考様式は上記テーマと並走するがごときと映る処です。そこで、新時代の環境にあって目指すべき経済の生業として、彼が主張するprogressive capitalismの概要について考察したいと思います。

処で、この5月4日は、1919年に中国で起きた五・四運動の100年目にあたる中国にとっては大切な記念日だった筈です。が、中国共産党は国民の反応に神経をとがらせる処と伝えられていたのです。と云うのは、同運動は反帝国主義運動であるとともに、民主化運動でもあったからとされているためです。更にこの6月は民主化を謳った例の天安門事件から30年となる敏感なタイミングもこれありで、共産党の警戒心が高まる処と伝えられていたというものです。この様相をThe Economistは5月4日付で ` Tiananmen 1919 – The anniversary of a momentous protest tests the party’s nerve ‘と題して報じていますが、上記、progressive capitalism と並べ読むとき、そのcontrastが実に興味を深める処です。
そこで、米中貿易摩擦の高まりが、今や米中覇権争奪を鮮明としだす折、第2章として、このprogressive capitalism とTiananmen 1919 をテーマに、比較考察したいと思います。



第1章 平成 アンチテーゼへのチャレンジ
    
1.平成のアンチテーゼ

前出小林氏の云う「敗北の時代」とは、どういった様相を意味するのか、その実情は、です。
具体的に、例えば、株式時価総額ランキングを見ると、平成元年(1989年)には世界の上位20社のうち、NTTを筆頭に14社が日本企業だったが今ではゼロ、トヨタの41位が最高で、上位層は米国や中国のデジタル企業が独占する処です。またマクロ経済指標でみても、1989年には世界4位だった日本の一人当たりGDPは2018には26位まで下落しています。つまり、かつて日本人が世界に誇った相対的豊かさが、ゆっくりと、だが確実に失われつつあるということのほかありません。
ではその理由はですが、経済成長に必要な要素は、技術革新と、資本と、労働力ですが、とりわけ、現下で急速に進む人口減少が最大の要因と説明される処です。注)

    (注)少子化に歯止めがかからず、高齢化は進み社会がどんどん縮んでいく。現在、1億2600万人余の人口は2040年1億1000万人になると推計される。その間、生産年齢人口は減り続け、社会保障がかさんでいくのは火を見るより明らか。財政は1000兆円をこえる公的債務を抱える。負担を増やすか、給付を呈かさせるか、その両方かしか選択肢はない。

しかし、何がその停滞を招いたかについて、小林氏は極めてシンプルに「企業の活力の衰えだ」と断じるのです。そして、彼は、世界企業がダイナミックに動く姿として次のような指摘をするのです。
つまり「売上高で3兆~4兆円規模のダウとデュポンが一緒になって、それを3分割する計画ですが、こんなことを平気でやるダイナミズムが世界の企業にはあるが、日本にはない。
そして、例えばオープンイノベーションと云いながらオープンさを欠く「自前主義」、「横並び」にどっぷりつかり動けなくなった「茹でガエル」ばかりだと云い、やはり必要なのは「戦う意志」だと指摘するのです。要は、日本企業がインパクトのある新製品や新サービスを生み出せなくなって、企業と経済の成長が止まり、日本の地盤沈下が進んだということですが、総じていえば、昭和の時代に急成長した日本企業も徐々に年老いて、リスクを嫌がる保守的な組織になったということかもしれません。要は平成と云う時代が残した、こうした事態へのアンチテーゼへ挑戦すべきが筋と、示唆する処です。

こうした指摘は企業経営と云う立場において、至極当然の指摘であり、その実行が期待される処です。が、実は日本経済と云うマクロの視点からも同様に、アンチテーゼへの挑戦が求められている処です。つまり、アベノミクスの3本の矢のうち、2本の矢、つまり、異次元ともいわれた金融緩和を実施し、大型財政の出動でインフラ整備を図るなどで、表面的には、経済はリーマン・ショックからの回復を続けてきた処です。が、その回復の成果としての賃金のアップが起きないことで、つまり消費者にはその回復実感が持ってないと云うものです。そして最大の問題は、成長戦略として打ち出されていた第3の矢が打たれることなく、いつしか停滞状態で今日に至っているというのが実情です。(注)

(注)経済指標が語る経済回復の実態:
― 5月中に発表された経済指標が語ること
(1)5月13日、内閣府が発表した景気動向指数からみた景気基調判断は6年2か月振り、「悪
化」に。これは外需の低迷で、生産や輸出が落ち込んだことが背景にあるとされています。その
輸出や生産が米中貿易摩擦の影響を受け厳しくなることを覚悟せねばならない筈。
(2)20日に発表された2019年1~3月期のGDP(速報)は、実質ベースで前期比0.5%増、年
率換算で2.1%増となっています。が、中国経済の減速を受け輸出は減退、内需の柱である個人
消費(実質で0.1%減)と設備投資(0.3%減)も減少に転じた。指数的には純輸出のプラスは計
算上、成長率を押し上げるものの、輸入の減少は内需の陰りを反映しており年率2.1%増と云う
成長率の数字ほど日本経済の現状はよくない。
(3)24日に公表された政府の5月月例経済報告では、上記指標を踏まえて5月はんだんは下方
修正、それでも「景気は穏やかに回復している」との認識を維持している。いろいろ政治的判断
があってのことと思料される処。

つまりアベノミクスの終幕は、政策運営上、需要を喚起するような成長戦略を果たすことなく、従って金融緩和が進み、日銀券がだぶだぶのまま、そのお金を持ち込む対象需要の創出もなく、又企業においても低金利の環境にあっても積極的資金需要もなく、と云った状態にあり、と云うことで、アベノミクスで強調されていた「企業に選ばれる日本」を目指すはずだったものの、今や日本は1%以下の成長にとどまる処(先進国ではそれでも2~3%の成長を維持)、結果として「企業に選ばれない地域」に転落してしまっているのです。

この30年余りの間にグローバル化の進展で世界経済の構造は劇的に変化するなか、日本はその潮流から取り残され、経済は停滞し、世界における地位も著しく低下してきたと認めざるを得ません。しかしなおの事、実践的に、日本経済の将来的生業を考えていくとき、令和の新時代、世界との競争に伍して、安定した成長を持続させていくことこそが日本としての世界貢献と思料されるだけに、その為には競争力を高めていくことが不可欠であり、それこそがアンチテーゼへの挑戦と映る処です。

・Jim O’Neil氏
因みに2001年「BRICs」を提唱したジム・オニール氏(現在英王立国際問題研究所会長)のコラム「人口減少の日本―生産性追求を」(日経2019/4/6)は, 上記文脈に同じくする処、日本は国の政策として人口減への対抗も含め、生産性の向上を目指すべきと、以下示唆するのです。
まず重要なこととして、経済規模と国民の「富」は別だとしたうえで、日本の人口は約1億2700万人から2050年までに約1億人に減少する可能性が高い。一方、名目GDPは現在とほぼ変わらない公算が大きい。人口が約20%減れば、一人当たりの富は20%以上増えることになる。これまで、自分は人口の急増と労働力人口の拡大に注目することが多かった。アジアではインドやインドネシアが潜在力の縮図だが、なぜもっと大きな経済的成功につながっていないのだろうか。一方、人口大国でないルクセンブルクやオランダなどは世界で最も豊かな部類に入る。アジアならシンガポールがそうだが、日本の政策決定者は欧州の最も豊かな社会のアジア版になることを考える時期ではないかと、するのです。

そこで、彼は日本の指導者が生産性を押し上げる政策を追求すれば、不可能ではないと考え始めていると云うのです。そして、生産性の向上は、労働人口が拡大していない時に所得水準を引き上げる唯一の手段と云えるとし、更に、日本はデジタルやロボット、先端素材、AIなどの技術によって自国経済を更に後押しできる。重要なのは、技術をどうやって自国に有利になるように利用していくかだ。日本の政策決定者は「特定の技術を利用し、真の意味で生産性を向上させるには、どのような政策が適切だろうか」と自問すべきと云うのです。いずれにせよ、令和における日本経済再生のカギは生産性の向上にありとするのです。

2.日本経済「アンチテーゼへの挑戦」

改めて、令和新時代、これからの生業を考えるとき、「アンチテーゼに挑戦」の意味することは、単に経営戦略がどうこうと云うよりも、産業の生業、延いては国民国家の生業すら視野に入れた構造変化への対応を問う事を意味する処です。
前出小林氏も同様次のように指摘するのです。 つまり、「企業も政治も然りだが、中長期を見越してそこから引き戻す、バックキャストの視点が欠かせない。2050年なり、戦後100年にあたる2045年なりに照準を合わせ、その時代にどれくらいの労働人口があり、海外の人をどれくらい入れ、どう飯を食っていくのか、あるいはどう分配し、いかにフェアーな競争社会を作るか。こういう本格的議論が不可避だ」と。

そうした、問題意識に応えてくれる好著を先般、手にしました。筆者もよく知る元内閣府次官の松元崇氏の「日本経済低成長からの脱却」です。著者の松元氏はアベノミクスの立案に役割を果たした仁ですが、日本経済復活のために必要な長期的戦略を行政の立場を超え、大局的な見地から論じたもので、その概要を紹介しておきたいと思います。

・日本経済低成長からの脱却
彼は、前述筆者同様、世界の中の日本のまさに劣化を再確認したうえで、アベノミクスによって景気は穏やかに回復したが、将来の「成長」に向けた具体的施策は明確には示されていないとし、低成長から脱却し、将来世代が豊かに暮らせるためには何をすべきか、カギとなる労働生産性の問題と、根底にある雇用システム改革の必要性に焦点を当て、日本経済復活への道筋を問うものです。

著者によると、IT化による生産構造の変化は、途上国の成長と先進国の成長鈍化をもたらしたが、それでも先進国は2~3%の成長を維持しているが、日本は1%以下の成長にとどまっていると。そして生産・投資活動の一極集中と過疎化がグローバルに進む中、日本は「企業に選ばれない過疎化地域」に転落したと指摘するのです。一部の日本企業は成長を続けてぃるが、大半は海外投資の成果に負うもの、そして低迷の最大の原因は、日本企業の強みだった終身雇用制度が、非硬直的コスト構造として企業の成長に必要なリスクテイクや投資活動の阻害要因となり、労働生産性が伸びなくなっていることにあると指摘するのです。可処分所得が増えず、多くの人々が景気回復の恩恵を実感できないのもそこに原因があるとも指摘するのです。 そこで国民の生活が豊かになるためには労働力がより生産性の高い分野に、賃金の上昇を伴って効率的に移動できる環境が必要とし、雇用システムの変革は国レベルのプロジェクトであり、社会保障制度や国民負担のあり方も、根本的に変える必要があると指摘するのです。

・安倍政権の成長戦略
では現実に、日本はこの生産性の向上と云う点で、政策運営をどう考えているかです。
5月15日、安倍首相が議長を務める「未来投資会議」が公表した成長戦略の骨格(この夏にまとめる由ですが)について、事務局の内閣官房は同会議で、米欧主要国に比べて低い日本の労働生産性の向上が最優先課題だと説明しています。そして改善のためには雇用改革が不可欠として、今年の成長戦略の柱に据える方向性を示したと報じられています。(日経2019/5/16)

2012年12月の安倍政権発足後、成長戦略は今年で7回目です。これまでの成長戦略は成長力を引き上げる抜本策に乏しく、日本の潜在成長率は1%にとどまる点はすでに指摘した処です。日本経済の政策運営の実情を見るに、アベノミクスの3本の矢のうち、金融緩和と財政出動は先述の通り十分にやってきたが、足りないのは残る成長戦略をどうするかです。要は日本を活力のある経済にしておくことが今日、我々に課された責任なのです。つまり、日銀は中銀としての独立性の堅持はともかく、安倍政権の意向に即し、日銀券をどんどん手当てし、この結果、今や日本の債務はGDPの2倍超にある処ですが、こうした緩和マネーがあふれる今の日本経済の問題はと云えば、お金が足りないのではなく、お金が回らないことなのです。つまり技術革新や規制緩和で新しい産業・サービスが誕生すればそこにお金は流れていくのです。そこで問題は、それが消費や投資を誘発する循環が起きないことなのです。単なる歳出増が答えになるなら苦労はないという処です。要はやるべきことをやり遂げることが先決なのです。が、この夏には参院選を控え、成長力の底上げにJosephつながる手が打てるか、依然その行動様式が気になる処です。



第2章 Joseph Stiglitz氏の標榜する資本主義のかたち、
中国共産党が警戒する天安門の歴史

1.Progressive capitalism

新たな時代環境,とりわけトランプ米政権の政策に象徴される世界の内向き姿勢が強まる一方、英国のEU離脱を決めた国民投票結果が映しだす経済格差問題等に照らし、米コロンビア大教授のJoseph Stiglitz氏は前述の通り5月3日付、論考「The Economy We Need」で目指すべき新たな資本主義の方向、生業について以下(概要)語るのです。

(1) New LiberalismからProgressive capitalismへ

これまでfree-market individualismの申し子とされてきた米国は、今では、より不平等な国、社会的流動性に乏しい国、になっているとし、又、英国についても、これまで世界の福祉政策では充実した英国型を示してきたものの、その英国においても賃金格差が大きくなり当該政策も維持し得なくなってきている等々、まずその厳しい現実事情を確認します。

つまり、80年代の、米国のレーガン大統領、英国のサッチャー首相が進めたnew liberalismのおかげを以って、とりわけ財政によるトリクルダウン・プロセスを通じて今日経済の発展をもたらしたこと、そしてそれは富裕層、投資家を利するような減税や、グローバル化の推進が結果として一般市民の生活水準の向上につながってきたとしながらも、そうした政策運営が続いてきた結果、米経済のわずか1%に富や所得が集中する一方で、産業の空洞化、一極集中化そして中間所得層の縮小が進んだことで経済の様相は変質、この筋書きを変えないかぎり、この経済の生業の悪化は避けられないというのです。

彼は、市場主義経済は結果的には大企業を更に大きく、弱者の低所得者層は更に弱者へと追いやられ、そうした所得格差の広がりが不平等感を高め、社会を不安定にしていく処、そうした不満、不平等感をいかに解消し、安定した経済運営を期していくかにあると、熱く語るのです。そして、彼はcapitalismなるものを、より今日的環境に適応できる姿とするprogressive capitalism,つまり進歩資本主義への修正が不可欠と主張するのです。

     (注)Progressive capitalism(進歩資本主義):カナダでは1867年設立の政党「自由保守党」
が、1946にprogressive conservative party(進歩保守党)に改称。緩やかな中道左派路線を
進めた経緯在り。progressive capitalism とは同様趣旨の表記かとも推測される。尚2003
年、同党は解散。後継政党はカナダ保守党。

・Progressive capitalism:
彼の主張するProgressive capitalismとは、政府、市場、そして市民社会の力のバランスを図る事を通じて、Free ,Fair そしてよりproductiveなシステムを目指すことと云うのです。そこでProgressive capitalism とは、選挙民と選ばれし政治家、また労働者と企業、そして富める者と恵まれない者との a new social contract、新しい社会契約を確かなものにすることを意味するとし、そして中間層のstandard of livingを改めて現実的な目標としていくこととし、そのためにも市場をより社会に貢献するものとしていく事が不可欠とするのです。

要は、progressive capitalismでは、neoliberalism, 新自由主義とは異なり、思考様式として価値創造のプロセスが中核に置かれると云うのです。そして、真に持続的とされる国家の富とは、天然資源を諸国から収奪する事でもなく、人的資源も含め、人としての創意工夫と協調にあり、多くの場合、政府や一般社会の機関の協力を得ることで、国民国家としての富の形成を目指すものと云うのです。

今でも富の創造とはしばしば富を絞りだすと云った発想に取り憑かれ、個人も企業も市場のパワー、競争価格の優位やその他収奪可能な手段等を生かすことで豊かになると思い込んでいるようだが、それは言うなれば利益誘導の市場行動にほかならず、勿論、そうした行為は社会的富の形成に貢献できるものではないと、主張するのです。とりわけ、少数企業による市場支配は、高い価格を維持し、消費者の生活水準を下げ、同時に米企業の海外転出を労働者への脅威として彼らの賃金水準の引き下げを企てようとする。それでも満足する事がない場合、更に政治家に労働者のバーゲニング・パワーを弱めるよう動くのだが、その結果は労働者の賃金は引き下げられ、結果国民所得の占める分配比率を更に引き下げていく。

時に技術の進歩、途上国の台頭、等々、色々事由を以って、中間層の相対的水準の低下が云々される処、トランプの脅迫的な貿易協定などは、米国労働者には悪影響をもたらすばかりで、企業の利益だけに焦点をあてた、一般市民には何も益する話ではないと指摘するのです。そして不平等の所得はますます不平等を増す処だと云うのです。AIやロボットの導入で今後の経済の成長が云々される処、現政権の政策や規制の枠組みの下にあっては、結局は多くの人々は、政府からの支援もなく、ただ失職していくことになるだけだとするのです。

それでも、こうした機能不全の経済が今日の政策に負うものとすれば、相応の期待は持てると云うのです。諸外国には、同じようなグローバルな力と対峙しても、ダイナミックな政策導入で、一般市民の繁栄に結び付く経済へと成功してきているケースはあるとする処です。つまりこうしたprogressive capitalismへのリフォームを通じて経済のダイナミズムを取り戻し、すべてに対して経済の質の向上と機会の平等を果たすことが可能と云うのです。つまりトップ・プライオリテイは搾取的行為を抑え、富の創造に向けるべきで、これこそが、とりわけ政府とともに、人々が協働できる最高にして唯一の枠組みだと主張するのです。

(2)A new twenty-first-century social contract
上述、各種提言は経済成長の再興を期すために必要なこと、そして中間層の生活を取り戻すためにも不可欠となるものだと云え、今必要とされるのは新しい21世紀型の社会契約、つまり、あらゆる市民がヘルス・ケア、教育、定年(退職)後の生活保障、自己資金で住宅が購入でき、decent job(人並みの仕事)、decent pay(人並みの収入)が確保される、そうした環境を担保していく事と云うのです。

こうした社会契約の項目については、部分的には実行している国はある。結局、米国は独り、先進国にあってヘルス・ケアを基本的な人権とは認めない国と云うことです。皮肉なことに、その米国のヘルス・ケアに対する支出は金額的にはper capitaベースでも対GDP比でも、他の先進国に比し多くあるのに対して、優位な民間のシステムはその成果は乏しいものにとどまっていると云うのです。

つまり、progressive-capitalist の視点からは、新しい‘社会契約’を国民にいきわたらせるカギは、wellbeing, 幸福な満足のいく生活の基本となるpublic option, 広く選択肢を通じてと、なると云うのです。つまりpublic options とは消費者の選択を広め、相応の競争を促すことになり、因みに2010年のオバマケアは健康保険についてのpublic optionを示唆する処です。が、実際はその法案は却下されています。実にそれは誤った行為というほかありません。
こうしたヘルス・ケアのみならず、今米国では年金給付、住宅担保、学生ローンなど, public option が求められていると云うものです。そうしたことは、要は民間がその補完を果たせばそれでいいということではなく、富を収奪的に確保する事業者から一般市民を守ることにあるとするのです。

・A progressive capitalist reform
今、米国では、大手でも、いずれもが繁栄を共有し、民主主義の将来を担保できなくなってきていると云うのです。近時の西欧に見る大衆の社会経済に対する不満の爆発こそは、経済成長にしても政治が果たす力の劣化と相まって、中間層の生活が蒸発していく姿を目の当たりとする処だと指摘するのです。 つまり、経済もそして政治もマネーを核にした強大な力をこの際は制御していく必要があり、progressive capitalism とはそうしたことを目指すものと云うのです。

この40年新自由主義を以って歩んできたが、結果は失敗だったと。尤も重要な指標とされてきたthe wellbeing of ordinary citizens,一般市民の豊かさ、がまさに悲惨な状況に追いやらてしまってきており、そうした状態をもたらしている資本主義を救うことが必要だと主張するのです。つまり,‘A progressive capitalist reform agenda is our best chance’ と。

2.五・四運動(1919年)と天安門事件(1989年)

5月4日付けThe Economistは「Tiananmen 1919:The anniversary of a momentous protest tests the party’s nerves」 と題して、当該「五・四運動」100年を記念した記事を掲載。共産党が恐れているという1989年の天安門広場の歴史に触れ、以下指摘するのです。そもそも五・四運動とは反帝国主義運動であるとともに民主化運動でもあったとされるものです。
ただし同じ学生による反政府運動とされた1989年の天安門事件は、検閲の圧力によって若者にはほとんど知らされてはいない由ですが、上述論考と併せ読むとき、そのコントラストが極めて興味深く映る処です。そこで、その概要を下記しておきたいと思います。

・まず、五・四運動と呼ばれるこの運動は、第一次世界大戦の戦勝国が、中国を不当に扱ったことに抗議すべく始まったもので同大戦の講和を定めたベルサイユ条約は、ドイツが中国に保有していた植民地を日本が継承すると認めている。5月4日は青年節として公式祝日となっているが、その意義については議論の分かれる処。

中国共産党は五・四運動を、その2年後に同党が誕生する背景となった出来事と捉えている。つまり天安門及びその他の場所で起きた蜂起は、中国の在り方を理性的に省みる試みというわけだと。一方、リベラル派はこの運動を、愛国者が民主主義を切に求めたものと捉えているという。愛国者らは、政治を含めて西洋流の知識を採り入れなければ、列強に伍すことはできないと信じていた。今年は五・四運動100周年、そして、同じく天安門広場を舞台として1989年に起きた天安門事件から30年と云う微妙な節目が重なる。同事件は、その年の6月4日に起きた学生たちの抗議行動で軍隊に鎮圧された。

さて中国共産党は五・四運動の大志がどこにあったか深く分析することを避けている。習近平国家主席は共産党を、中国古来の価値を擁護する存在に位置付けようとしている。19年に改革を望んだ人々がこれを知れば、さぞかし驚くことだろう。オクスフォード大のラナ・ミッター氏によれば、五・四運動に関して政府が重視したい点は、1つしかない。すなわち、中国共産党の結党につながった点だけだと云う。つまり、共産党は、独裁主義体制からの解放と云う同党の主張に支持者たちがひきつけられたことを思い出したくないのだ、と云う。

・天安門事件30周年:今年は二つの節目、五・四運動100年と天安門事件30年、を迎え、これに乗じて現状に満足しない人々が行動を起こすのではないかと共産党は神経をとがらせている。北京の治安維持体制からはそうした事態の可能性は低いが、共産党が不安を抱くにはそれなりの根拠がある。大学において活動家の行動が活発化しているのだ。
学者は臆病だが完全に勇気を失っているわけではない。勇敢な学者らは最近、許章潤教授を応援するようになった。同教授は今年初め、習近平氏の独裁主義を攻撃したとして停職処分を受けた。共産党は、五・四運動に参加した人々が訴えた夢を少なくとも1つ実現したと主張できる。中国を世界の大国にしたことだ。だが、4月30日、五・四運動100周年の式典で、不満を抱く人々に対して婉曲な警告を発した。つまり愛国心を欠くことは「不名誉」なこと、そして「国を愛することと,党と社会主義を愛することは密接に関連している」と。
 
さて、エコノミスト誌は最後にThe `spirit ‘ of the centenary looks a lot like mistrust and fear.(100周年の精神は不信と恐れが入り混じった様相)と締めるのですが、習氏の心境とでもいうところでしょうか。                     



おわりに 米ハーバード大ボーゲル名誉教授

5月4日付日経の「令和を歩む」シリーズで、 「ジャパン・アズ・ナンバーワン」(1979)で著名な米ハーバード大名誉教授のボーゲル氏は、新元号を以って歩み出した日本に対し、米国は世界の戦後秩序づくりに貢献してきたがトランプ政権は物足りない。日本の指導者は米国がどう考えるかを見てきたが、今度は「日本が中国、欧州、オーストラリア、インドと、どう向き合うかを自主的に考えるべきであり、将来の世界秩序にも貢献してほしい」と、そして、その為に、世界と渡り合う視野を磨けと檄を飛ばすのです。

とりわけ、新時代に中国とどう付き合うかが日本に問われる処と指摘するのです。要は中国が日本を追い越したのが2010年、それは一つの転換期を示唆する処、令和時代には、ほどなく米国をも超える事、そして米中関係は悩ましいく、特に台湾が心配だ、ともいうのです。そして、中国には人権問題や競争、科学技術で不公正な処があるが、米国の対応は過剰だ。中国は比較的抑え目だが、トランプ政権には戦略がない。日本に米中という超大国の橋渡しは難しいが、米国の過剰な反応をいさめるなど、助けることはできる。勿論日米同盟は非常に深く、中国の軍事増強を考えると米国に頼るしかないと、いうのですが、とりわけ次の指摘は日本の今と、これからを思うとき、痛く心に残る処です。

つまり、「安倍晋三首相は国際的な評価をあげたが、日本はまだまだ。豪州のラッド元首相の様に、中国語が上手く、北京とワシントンで双方の指導者と真剣に渡り合える国際派の政治家が出てほしい。戦後の日本の官僚には幅広くものを考え人がいたが、最近は視野が少し狭い。政治家は強くなったが勉強をしない。世界での経験を積み、戦略を持つリーダーを育てないといけない」と指摘するのです。

「平成」の30年は中国が台頭する時期と重なる一方で、日本はバブル経済が崩壊し、主要産業が衰退、デジタル社会でも世界に後れを取ったことで、本稿冒頭でもリフアーした小林喜光氏の言う「日本敗北の時代」だったと自覚させられる処ですが、この間、日本が得たものもあるのです。つまり、高齢化、人口減を世界最速の勢いで経験し、その結果、世界に打って出ていかなければ生き残れないという課題を直視したことだったと指摘するのです。世界は、トランプ米政権に象徴されるように、内向き志向を強めています。しかし、いずれ日本と同じ課題に直面していくはずです。

圧倒的な軍事力・経済力を背景とした米国のハードパワー、西側先進国と異なる政治体制を前提にした中国のシャープパワーのはざまで日本は世界でどんな役割を果たせるか、考えていくことが求められる処です。まさに、世界とともに生きる覚悟をと、される処です。
さて、ボーゲル氏の日本に対する忠告を関係者はどう受け止めるのでしょうか。

そんな折、5/25~28、令和初の国賓として米大統領トランプ氏が来日しました。極めて気になったのが安倍首相の彼に対する接遇ぶりでした。国賓であり、日米関係を考えれば、至極当然との向きは多い処です。勿論、ゴルフよし、大相撲よしですが、再び日本は米国の属国かと思わせる処ほどの様相に、日本外交はここまで落ちぶれたかと思わせるのです。片方ではバカ大臣を抱える安倍政権ですが、本当にBeautiful Harmonyが堅持しうるのかと、ただただ外面だけの安倍晋三氏に、不信感は募るばかりです。(2019/5/27 記)
posted by 林川眞善 at 11:13| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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