[ 1 ] ロシア・ワグネル反乱とプーチン政権の行方
(1)ワグネルの反乱
・Financial Times ,Gideon Rachman 氏 コメント
(2)ブリゴジン氏と民間軍事会社(PMC)「ワグネル」
[補足] ブリゴジン氏と民間軍事会社「ワグネル」
(3)ブリゴジン反乱と中ロの関係
[ 2 ] 今、転換点の欧州「安保秩序」と、
戦時下のウクライナに想うこと
(1) 今次NATO首脳会議が明示する新方針
・ EU・日本の安保連携
(2) 今、戦時下のウクライナに想うこと
[ おわりに ] 没後50年の今、石橋湛山に学ぶ、ということ
・超党派による「石橋湛山研究会」の発足
[ はじめに ] 世界の安全保障体制はいま転換点
この6月、ロシアで起きたブリゴジン氏が仕掛けた反乱は、プーチン政権の基盤の脆弱さを露わとする処、とりわけ反乱の鎮静化に外国指導者の仲介を得たという事は、まさにそうした事態を象徴する処と云えそうです。勿論、プーチン政権が揺らげば、良くも悪くも国際政治への影響は大きく、とりわけ注目に値するのがロシアの友好国 中国に齎す意味合いです。
一方 西欧諸国は、ロシアへの対抗として軍事同盟たるNATOを以って安保体制の強化を目指す処、7月11/12日、リトアニアで開催の首脳会議では、ロシアへの抑止力維持の為として長期的、武器供与の継続を担保するなど、ウクライナを結束して支援していく姿勢を明確にする処、とりわけNATOが採択した共同声明では、中国について「中国の野心と威圧的な政策はNATOの利益や安全、価値観への挑戦だ」と明記する一方、ロシアについてついては「最も重大かつ直接的な脅威」と定め、ウクライナからの撤退を求めるとする処です。
尚、NATO首脳会議に先立ち、4月に正式加盟したフィンランドに続き、反対して来たトルコの方針転換で、スエーデンの加盟にもメドが立つ処、実現すれば現在31カ国のNATO加盟国は32カ国に増える事になり、その拡大はロシアへの西側の包囲網が更に強まる事を意味する処です。この北欧2カ国の加盟は、ロシアのウクライナ侵攻を事由とする処、ロシアにとっては緩衝地帯としていた当該2カ国が消えることとなり、プーチン氏にとっては西欧との緩衝地帯が消えることでNATOの東方拡大を軍事的脅威と見做して猛反発する処、以って欧州の安保秩序は冷戦終了後で最大の転換点を向けえる処です。
更に上記首脳会議に引き続き13日、ブリュセルで行われた日・EU(ストルテンベルグ事務総長)首脳会談では、安全保障協力に関する新たな4か年計画の公表がありましたが、これまでにもまして、東アジアの海洋の安全確保、サイバー攻撃対策などで、共同で取り組む方向が確認され、安保分野で新たな協力の枠組みが進められる処です。 ただ現在のウクライナ戦争を巡る当事者はプーチン・ロシア、そして暗黙の支援国としてあるのが習近平中国ですが、これに西側諸国は隊列を組んでロシアへの対抗を図らんとする処、未だウクライナ戦争の終結に向けての言葉は何処からも届くことはありません。 そうした中、いま日本の政界では戦前「小日本主義」を訴え、戦後首相になった石橋湛山に注目が集まる処です。
そこで今次論考では、上記ロシアでの反乱騒動の実状と、それを機に一気に動き出す感にある西側安保対応の動向に絞り、その行方について、そして湛山の思考様式とも併せ、考察する事としたいと思います。
[1] ロシア・ブリゴジンの反乱とプーチン政権の行方
(1)ブリゴジンの反乱
2023年6月23日夜、ロシアの民間軍事会社(PMC)「ワグネル」の創設者、ブリゴジン氏はロシアのショイグ国防相、ゲラシモフ参謀総長らの更迭を求めて武装蜂起を宣言、そして、ウクライナから部隊をモスクワに向け進める予定の処、プーチン氏の意を受けたロシアの隣国 ベラルーシのルカシェンコ大統領が、ブリゴジン氏との仲介役となり(ルカシェンコ氏とはブリゴジン氏は20年来の知人とされる処)、24日の夜、武装蜂起の停止で合意。反乱は一日で収束をみる処でした。
そもそも「ワグネルの存在」はプーチン大統領の容認する処にあって(注)、従ってロシアのウクライナ戦争に関与を続ける処、ロシア軍からの武器支援が十分に得られない事情「等」にロシア国防省と対立関係にあったブリゴジン氏は、上記二人の更迭を求めて武装蜂起したと伝えられるもので、ブリゴジン氏は政権の転覆は望んでないとするも、それは‘事変’の他なく、反乱とされるもので、まさにロシア版本能寺の変を思わせんばかりでした。
(注)プーチン大統領は「ワグネルというグループは法的には存在しない」と話す等、
解体を急いでいる様相とメデイアは伝える処。(日経2023/7/16/)
24日には、ブリゴジン氏はロシア南部ロストフ州を離れ、その後の所在は不明とされていましたが、27日、ルカシェンコ大統領はブリゴジン氏がベラルーシに到着したと明らかにする処、これが事実上の亡命とされるものでした。(日経6/28) しかし、その後の彼の居場所については確たる情報は伝わりませんが、これまでの一連の動きは盤石と見られたプーチン政権の体制の脆弱さを浮き彫りする処と云えそうです。
ただ、ブリゴジン氏がどこに居ようが、引き続きロシアの軍指導部とプーチン氏を声高に批判し、彼らにとって危険な存在であり続けると見られる処、その‘危険’とは追い詰められたプーチン氏が仕掛ける原発爆破テロであり、ロシア軍が退却後、ザポロジエ原発に仕掛けた爆発物が爆破する恐れともされる処でしたが、ウクライナ国防省情報総局は6月30日、原発に送り込まれた一部のロシア人従業員が退却を始めたと公表する処です。(日経7/3)、このワグネルによる反乱は、一旦鎮まったものの、これまでのブレゴジン氏の行動にも照らし、これが正常化への一歩ではなく混乱の序曲ではと、巷間の見る処です。
(注)ブレゴジン氏動静:ロシアのメデイア「メドウーザ」は7月19日、ブリゴジン
氏が部隊と共に「しばらくベラルーシに滞在する」と述べたと報ずる処です。同氏は今後のウクライナ侵攻の戦線への復帰を示唆したとし、戦闘員には「アフリカで新た
な道を歩む」ことも促したとも伝わる処です。(日経、7/20 夕)
・Financial Times 、Gideon Rachman 氏 の論評
因みに「事変」発生の直後、6月26日付Financial Timesでは、同社chief commentatorのG. Rachman氏は `Putin’s system is crumbling’と題し、プーチン体制の崩壊の始まりと語る処でした。序で乍ら、そのポイントを紹介しておきましょう。
➀ ブリコジン氏の武装蜂起はひとまず沈静化したが、ロシアがこれで正常を取り戻すとは思えない。そもそも戻るべき正常な状態などもはや存在しない。今回、反乱が起きたのはプーチン氏の計画が崩壊しつつあるからで、そのプロセスはこの反乱で加速する可能性が高い。今やプーチン氏が生き残りをかけた2つの戦いに直面しているのは明白。
一つはウクライナとの戦争、もう一つは自身の政権内部のぐらつき。そしてウクライナとの闘いで更に劣勢に追い込まれれば、ロシア国内でのプーチン氏の立場は一段と危うくなる。その逆も然り。
② 6/24~25日に起きた出来事をロシア国民は目の当たりとした。ロシア市民は今回のプーチン氏がウクライナとNATOがロシアに侵略してくると云う嘘に基づいてウクライナを侵攻したと云うブリコジン氏が批判するのを聞いた。ロシア市民はブリゴジン氏とワグネルの兵士らを「必ず処罰し」、「法と国民を前に責任を負わせる」というプーチン氏の決意も耳にした。
③ その後、ワグネルがモスクワへの進軍を止める約束と引き換えに、プーチン氏がブリゴジン氏を無罪放免とすることに同意したこともロシア国民は見、プーチン氏がベラルーシのルガシェンコ大統領の仲介に頼る姿も目の当たりとした。プーチン氏が過去に軽蔑を 隠そうともしてこなかったあのルカシェンコ氏に対してだ。ウクライナは、ロシア軍内部の対立の表面化は自分たちにとって好機とみている。彼らは、今こそ反攻すべく予備兵を投入するかもしれない。7月に開催のNATO首脳会議では、西側の友好国に更なる支援を訴えかけるべく新たな理論を用意してくるだろう。
④ プーチン氏が自らの体制を維持できる可能性は明らかに低下している。ブリコジン
氏は今後もプーチン氏の脅威となる。同氏がベラルーシの田舎にあっても引き続きロ
シアの軍指導部とプーチン氏を声高に批判し、彼らにとって危険な存在であり続ける
だろう。プーチン氏は、プリゴジン氏が批判するジョイグ国防相とゲラシモフ参謀総長
は確かにウクライナでも、国内でも明らかに失敗を侵してきた。よって都合よくスケー
プゴートにされるかもしれない。だが、二人を排除すればプリゴジン氏の主張を認める
事になり、となるとプーチン氏は更に弱い存在に見えかねない。
➄ スケープゴート探しはロシアのエリート層の間に分断を招きかねない。プーチン氏が長く自らの体制を維持してこられた一因は、ロシアで大きな力を持つ人々の多
くが 自分たちの運命はプーチン氏と彼が創り上げてきたシステムに依存いている事
を知っていたからだ。ロシアのエリート層にとってはプーチン氏にしがみつくことが、
安全確保への道に思えていた。だが、そのシステムが揺らぎつつある今、彼らの計算
も変わりつつある、と。
更に、7月1日付The Economistは`The humbling of Vladimir Putin’と題する論考では、まだ侮れないがと、But don’t count him out yet としながらも、`The Wagner munity exposes of the Russian tyrant’s growing weakness’ とし、’ as long as Mr. Putin wears the crown and his soldiers dream of imperial rule over Ukraine, the journey cannot even begin‘とプーチン氏のウクライナ支配を目指す虚ろな姿を強調する処です。
(2)ブリゴジン氏と民間軍事会社(PMC)「ワグネル」
さて、今次反乱を企てたワグネルの頭領 ブリゴジン氏とはいかなる人物か?ソ連崩壊後、急速に事業を拡げた企業家の顔を持つ仁で、90年にホットドッグの屋台を始めたのが彼のビジネスの始まりと伝えられています。そしてホットドッグ店のチェーン展開に成功すると96年には高級レストランの経営に乗り出し、要人が訪れるようになり、その中にプーチン氏もあって、彼の「取り立て」で事業は急成長を見る処と伝えられていますが、ブリゴジン氏のビジネスの闇が深まったのはプーチン氏が3期目の大統領に就いた10年代前半とされています。
・「ワグネル」という会社
民間軍事会社「ワグネル」は、13年に創設された香港を拠点とする「スラブ軍団(Slavonic Corps)」という組織を前身とするもので、ロシアの総合警備会社を母体とし、戦時下のシリアで活動するために創設されたとするもので、それはSNSなどに偽情報を流して世論を操る組織で、後に「トロール工場」とも呼ばれる組織で、フェイクニュースの拡散等を通じて世論工作を行うグループを指すのです。因みに、シリアやアフリカでもロシアの別動隊として紛争に加わり、多額の報酬に加え、石油・ガスや金鉱山の利権をも獲得したとされる一方、16年には米大統領選や、18年の米中間選挙でもSNSを通じて世論操作を行なったとされています。 こうした民間軍事会社(PMC)は現代版「傭兵」ともいえる処、これが単なる傭兵ではなく、戦闘のみならず、ロジステイックやインテリジェンスに至る非常に広い分野をカバーしながら、国家や民間の要望に応えつつ、軍事的な活動を総合的に支える役割を担う存在で、多様化した新しい戦争に対処していくためにも不可欠な存在となってきたとされる処です。(「 ハイブリッド戦争:ロシアの新しい国家戦略 」 廣瀬陽子、講談社現代新書、2021 )
要は、欧米のロシア批判に情報戦で対抗し、正規軍が関与できない非合法な作戦を担ったとされ、その点でウクライナ侵攻でも主力部隊を形成する処とされています。もっとも、今次の武装蜂起で、政権との相互利用の関係が終わったとされるのですが、ブリゴジン氏は前掲メドウーザ紙が示唆するように何か新しい行動機会を模索中とされる処です。
[補足] ブリゴジン氏と民間軍事会社(PMC)「ワグネル」
ワグネルの頭領、ブリゴジン氏とはいかなる人物か? その一部は上述にある処、彼はソ連
崩壊後、急速に事業を拡げた企業家の顔を持つ仁で、90年にホットドッグの屋台を始めた
の が彼のビジネスの始まりとされています。そして、ホットドッグ店のチェーン展開
に成功すると96年には高級レストランの経営に乗り出し、要人が訪れるようになり、その
中にはプーチン氏もあって、彼の「取り立て」で事業は急成長を見る処だった由。
ブリゴジン氏のビジネスの闇が深まったのはプーチン氏が3期目の大統領に就いた10年
代前半。つまり13年にはSNSなどに偽情報を流して世論を操る組織で、後に「トロール
工場」(注)と呼ばれる組織ですが、14年には、ワグネルの前身となる軍事会社を創設、
ウクライナ東部紛争で暗躍したとされています。また、シリアやアフリカでもロシアの別
動隊として紛争に加わり、多額の報酬に加え、石油・ガスや金鉱山の利権をも獲得したと
される一方、16年には米大統領選や、18年の米中間選挙でもSNSを通じて世論操作を行
なったとされています。 [(注)トロール工場:フェイクニュースの拡散等を通じて世論
工作を行うグループを指す]
トロール工場やワグネルは、プーチン政権の意向を受けて動いていたとされていますが,
要は、欧米のロシア批判に情報戦で対抗し、正規軍が関与できない非合法な作戦を担った
とされ、その点でウクライナ侵攻でも主力部隊を形成したとされています。尤も今次の武
装蜂起で政権との相互利用の関係が終わったとされるのですが、ブリゴジン氏は何か新し
い行動機会を模索中とも報じられている処です。(日経、6/30)
序で乍ら彼の出自ですが、 伝えられる処、彼は1961年6月1日、レニングラードで
誕生。1979年11月レニングラードでの窃盗罪で執行猶予付きとなったものの、1981年には強盗、詐欺、未成年者を含む売春等の罪で12年の懲役刑を宣告され、9年間の刑務所暮らし。出所後は前述の通りで、ホットドックの販売ネットワークで、成功を収め、プーチン氏との接点ができたことで大成功をおさめ今日に至ったとされるのでしたが、上掲ラックマン氏はブリゴジン氏を根からの悪と決めつける処です。
(3)ブリゴジンの反乱と中ロの関係
今次ブリゴジン氏がプーチン政権に対して起こした武装反乱の解決に外国指導者の仲介を必要としたと云う事は極めて象徴的と云え、プーチン・ロシアの今後に強い影響を与えるものと思料される処、プーチン政権が揺らげば、良くも悪くも国際政治への影響の大きさは大方の指摘する処ですが、とりわけ注目されることは、中国にもたらす意味合いだ、と指摘するのが日経本社のコメンテーター、秋田浩之氏です。(日経7/8)
同氏によれば、習近平政権内での検討では、今後もロシアとの軍事協力を深めると云うものだった由ですが、プーチン政権の求心力が衰えれば、習政権には二つの影響が出ると指摘する処です。その一つは、ロシア内の安定が揺らげば、インド太平洋への中国の戦略に狂いが生じること。二つは、ロシア内の混乱は中国の対米戦略にも影響を落とすとするものです。習政権は米国主導秩序を塗り替え、50年までに世界の最強国になる目標を掲げる処で、米国への対抗上、ロシアは唯一の大国パートナーであること、ロシアの国力が衰えたからと言って国連安保理事会の常任理事国の地位が消えるわけではないが、外交力は下がってしまう。習氏にとって最悪な筋書きは、プーチン氏が失脚する事と断じ、更に、重要なのは、ロシアの苦境から習氏がどのような教訓を引き出すかにあると同氏は指摘するのです。
つまり、明確な自信のないままプーチン氏がウクライナに侵略し、ロシア軍の死傷者が増え続けたことが反乱を誘発したとするのですが、これを中国に当てはめれば、よほど短期で圧勝できる自信がない限り、台湾侵攻に踏み切るべきでないと云う教訓になる処、ただプーチン政権が内戦寸前の危機にさらされたことが、習氏に与える心理的な圧力は計り知れないだろうと云うのです。そして強権政治は盤石なようで、崩れる時はアッと云う間であって、西側諸国も「脆いロシア」への対策を急ぐべき時と云うのです。勿論、「備えよ常に」と理解する処、これが 時宜として、岸田政権にはいつまでもバイデン政権のフォローワーではなく、自らの政治理念を映す政策とその行動が必要となっているのではと痛感するのです。
[2] 今、転換点の欧州「安保秩序」と、戦時下のウクライナに想うこと
(1) 今次NATO首脳会議が明示する新方針
7月11/12, 東欧リトアニアの首都、ビリニユスで開かれたNATO首脳会議では、ウクライナを長期にわたり結束して防衛し、脅威に対する安全を保障すると、明確なメッセージを発信する処(注)、ロシアへの抑止力維持へ長期的に武器の供与を継続することを担保する処です。ただ 昨年6月、マドリードで開かれたNATO首脳会議では今後10年の指針となる新たな「戦略概念」が採択されていますがその際も、ロシアを「最も重大かつ直接の脅威」と呼び、抑止力と防衛力を大幅に強化するとし、又 中国についても「我々の利益、安全保障、価値に挑み、法に基づく国際秩序を壊そうと努めている。中国とロシアの戦略的協力関係の深化は我々の価値と利益に反する」と記す処でした。(日経2022/7/1)
(注)NATO首脳会議共同声明のポイント(日経2023/7/13)
① 「ウクライナの将来はNATOの中にあると、明記
② 加盟国の軍事費支出をGDP比で「最低2%」に
③ ロシアにウクライナからの撤退要求。「最も重大かつ直接的な脅威」
④ 中国の野心と威圧的政策は「NATOの利益、安全、価値観への挑戦」
➄ 日本、韓国、オーストラリア、ニュージランドと安全保障分野で協力強化
尚 12日には、NATO首脳会議にあわせ、G7は共同声明を公表。現在のウクライナの自衛力を高めると同時に、将来のロシアによる再侵攻を抑制する為、各国が長期的に支援することとし、夫々で軍事的、経済的支援の在り方を定め、当該宣言では各国が直ちに議論を始めると明記する処です。具体的には防衛装備の提供などの他、ウクライナに対する訓練プログラムや軍事演習の拡大、同国の産業基盤の発展に向けた取り組みを想定する処ですが、バイデン大統領は、12日「同盟国はウクライナの未来はNATOにあることに同意し、G7は我々の支援が将来にわたって続くと明確にした」と強調する処です。(日経、7/13)
・EU・日本の安保連携
ただ、日本が他国の安全を長期的に保障する枠組みに参加するのは極めて異例とされる処ですが、今次のNATO首脳会議を機に7月13日、ブリュッセルで開かれたEUと日本の首脳会談では、これまでの経済中心のEU・日本の安保協力を格上げする事とし、具体的には東アジアの海洋安全確保やサイバー攻撃対策等に共同で取り組む方針を確認、新たな連携の仕組みを導入するとしています。 因みに、日仏間には外務・防衛担当閣僚協議(2プラス2)が、日独間には首相と外務、防衛、財務等主要閣僚が勢ぞろいする政府間協議の枠組みが設けられていますが、これが日本・EUでも実現すれば, EUがアジアの安保に関わるという国際社会への強いメッセージになると関係者は、協調する処です。具体的には、海洋安保、宇宙、サイバー、偽情報と云った領域を対象にすると云うのです。(日経、7/3) 安保分野で初めて本格的な連携に踏み込む処です。
(2)今、戦時下のウクライナに想うこと
処で5月以降、G7首脳サミット、NATO首脳会議、更には個別、二国間協定等々、各共同宣言が映す西側陣営の姿は当然の事ながら、複相的連携体制の下、ロシアを最も脅威として対ロ、対中に向けた抑止力の維持、或いはその強化の一点にあって、今日に至るプロセでは本稿冒頭でも指摘したように、ウクライナ戦争の解決や終結に向けた言葉は一切見受けられないままにすぎてきています。極めて気になる処です。しかも日本についてみれば、その行動様式はまさにバイデン米国への追随のほかなく、日本としての当事者意識が見えない事に聊かの疑問を禁じ得ません。
ウクライナ戦争は既に1年半に及ぶ状況にあって、その間の犠牲は甚大なる処、では、それを終結させるためにはどのような行動を取るべきか? そうした声がとどくことはありません。これこそが問題です。そこで、この際は実戦ではなく、戦闘状況のトレンドに変化を齎すような、つまりは変化球づくりを構想していってはどうかと思料するのです。勿論、その際は複相的連携体制の下行われることが前提ですが、先のG7サミットで見せた日本のリーダーシップが生かされる処ではと、思料するのです。
実践的には、西側諸国との連携もさることながら、この際はG7サミットでの経験を活かし、日本側に取り込んだインドやインドネシア等、グローバルサウス(GS)との連携をベースに、インドのモデイ首相が、 ‘今、戦争をしている時ではない’ とプーチン氏に直言したことにも照らし、膠着状況の現状を打破するため、相応の変化球を打ち出すことを目指してはと思料するのです。つまり日本こそは、そうした行動を取り得るポジションにあるのではと思料するのです。勿論、簡単なことではないでしょうが、前号論考で指摘した通り世界の中心がシフトすることが見通せる状況にある今、日本こそはそうした展望の下で、GS等、関係諸国と連携し、時間はかかるでしょうが変化球づくりを目指してはと、痛く思う処です。
[ おわりに ] 没後50年の今、石橋湛山に学ぶ、ということ
過日、友人と会食をしながら上記 筆者の思いについて色々話をしましたが、今の 現状は、結局、岸田首相に彼が目指す長期ビジョンや、それを支える政治哲学の無さに因る結果ではと、話は収斂するのでした。ただ幸いにも、その際、この6月、超党派の与党議員連が「超党派石橋湛山研究会」を立ち上げたことを承知しました。そこで話は続くのでしたが、では何故今、湛山か?です。
その点、筆者友人が、今回の研究会立ち上げにかかわった共同代表の一人、国民民主党の古川元久氏から直接もらい受けたと云う週刊誌(サンデー毎日 7/16 )で、古川氏は次のように語っているのです。まず、時代認識にあって、「新しい戦前」と云われる今の日本には湛山から学ぶべきものが多い事、そして、日本政治の最大の課題は米中対立の中で日本がどう生き延びるかに尽きる処、日米同盟で中国を封じ込めるという今のやり方では行き詰まり、下手すると国を失いかねない、その点で、「小日本主義」を謳った湛山を改めて学習すると云うものの由ですが、まさに筆者の疑念を映す処です。
序で乍ら、彼らが指摘する「時代認識」に、政治家、岸田文雄はどう応えていこうとしているのか、それが伝わってこないことが今日的問題と云え、5月のG7サミットでは、岸田首相のleader-shipに多くの称賛を集める処でしたが、6月の報道各社 (朝日、産経、日経、読売、共同通信)の世論調査では、内閣の支持率は激しく下落する処、その理由として挙げられていたのが「政策が悪い」で、これはまさに内閣への信頼の無さを映すものと云え、G7サミットでの成果をまさに帳消しする格好です。
・超党派による「石橋湛山研究会」の発足
さて湛山(1884~1973)は1907年 早大(文学部哲学科)卒業後、曲折を経て1911年、東洋経済新報社に入社。戦前から植民地の放棄を主張する「小日本主義」を唱えるリベラルなジャーナリストとして、freshな記者の視角を残す処、 敗戦後は政治の世界に転じ自民党総裁を経て1956年、内閣総理大臣に就任。しかし病の為, 僅か65日で総理大臣辞任を余儀なくされています。
それでも1959年には湛山は訪中し、周恩来首相と会談。「石橋湛山・周恩来共同声明」を発表し、田中角栄が目指した日中国交正常化に向けた地ならしを果たし、更に1961年、米ソ冷戦で世界が引き裂かれていたさ中、「日中米ソ平和同盟構想」を発表、その3年後の1964年にはソ連訪問を実現させた仁です。改めて書架の奥にうずもれていた冊子(井出孫六「石橋湛山と小国主義」)を取り出し、読み返す処、要は湛山には「西側か東側か」と云った、どちらか一方の陣営と友好関係を築くやり方は日本の将来にとって現実的ではないとの思いがあって、日本に求められるのは通商国家として生きていく覚悟とする処、その結果は今日に至る日本の成長の姿の他なく、まさに先見の思想家と評される所以です。
今次liberalとされる保守系議員が超党派で「湛山研究会」を立ち上げました。一部では現状に対する不満を映す決起かと、評する向きもある処、要は「民主主義か専制主義か」の二項対立を世界に持ち込むような外交を展開するやり方では賛同者は得にくい、まずそのことを、日本こそがアメリカに向かって発言していくべきで、それが日米関係の深化に繋がるはずとして、改めて湛山を学び直そうと有志が集まったというものの由です。
もとより湛山的思想を実践する事は生半可な覚悟ではできない事と思料します。が、 今年は湛山没後50年、湛山を源流とする宏池会との歴史的つながりを持つ岸田首相には、いかなる外交路線を打ち出せるか、まさに問われる処と思料するのです。(2023/7/24)