2019年03月27日

2019年4月号  混迷深める英国メイ政治とBREXIT、そして統合欧州再生を叫ぶ仏マクロン大統領 - 林川眞善

目  次

はじめに  ホンダの「脱英国」宣言と、BREXITの行方                                      

(1)ホンダの「脱英国」宣言
  ・サッチャー・レガシー
(2)BREXIT問題、迷走するメイ政権
  ・決められないメイ政治が映すこと
  ・本稿のシナリオ

第1章  なぜ英国は「EU離脱」に向かったか
 
1. 英国が「脱EU」に動いた背景

(1)2016年の英国民投票
  ・国民投票向けのキャンペーンと投票結果
(2)欧州統合プロジェクトと英国の方向

2. サッチャーリズムの光と陰
― The road from Thatcherism  

(1)サッチャーのネオリベラリズム政治
  ・サッチャー政権(在任:1979~1990)
  ・サッチャーの政策アドバイザー
  ・TINA:サッチャーの行動様式
  ・サッチャー金融規制緩和の帰結
(2)Thatcherism Global Legacy
・サッチャーリズムの光と陰
  ・Neo-democracy 革命の対抗

第2章 統合ヨーロッパ再生

1.独仏新友好条約―アーヘン条約

2.マクロン仏大統領の「統合欧州再生論」
  -Renewing Europe
・マクロン宣言vs The Economist,Mar.9th

おわりに 景気の転換点で考える  
              
 ・今、経済指標が語ること
 ・実感伴わぬ景気拡大
 ・生産函数で考える


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はじめに  ホンダの「脱英国」宣言と、BREXITの行方

(1)ホンダの「脱英国」宣言

2月19日、ホンダは2021年中に欧州唯一の四輪車の生産拠点である英スウインドン工場(1985年設立)での生産を終了すると発表しました。ホンダの2018年の欧州販売台数は約14万台。米国や中国の1割程度、全体で3%にとどまる状況で、欧州域内のシェアーは1%未満、収益も低迷にあり、生産体制の見直しが不可避とされていました。

周知の通りデイーゼル車が中心だった欧州の業界では、電動化や自動運転などの対応が急務で、研究開発も含む環境にある処、中堅規模のホンダにとっては、まだコストの高い電動車を現地生産するには非効率という事もこれありで、そこで次世代の競争軸、電動化時代を見据え、世界規模で生産再編を図り、生き残ろうというものと思料するのです。

都内本社でホンダの英国生産からの撤退決定を公表したその日、記者会見で八郷隆弘社長は今次の決定はBREXIT問題とは関係なく、ホンダ固有の事情によるものと、「配慮」を示していましたが、そうは額面通りには受け止め難いもののある処でした。

つまり、英政府とEUとの間に合意がないままに、離脱するとなると、英国製のホンダ製品が欧州に輸出されるとなると関税が課せられ、その分競争力を失う事になるのですが、2月1日からスタートした日本EU経済連携協定(EPA)に従えばそのリスクは消えるため、ホンダのreshoringとして極めて合理的意思決定ということと云える処です。つまりBREXITに備えた戦略に他ならないと云うものでしょう。

今次のホンダの決定で、直接的には同工場に働く従業員3,500人は失職することになるのでしょうが加えて、部品を治めるサプライヤーも英国内の生産拠点の閉鎖や他の販路開拓が迫られえる状況がと、その連鎖が報じられる処です。
そもそも、英国のEU離脱を主張していたのは地方の有権者だったわけで、地方で工場の閉鎖などが相次ぎ雇用が失われる皮肉な結果を生む処とですが、彼らには、そこまで思いは及ばなかったという事なのでしょう。既に、EU離脱を前にして日産が英工場で予定していた主力車の生産計画を撤回したほか、外国企業の間では拠点を英国から欧州大陸に移す動きが相次いで起こってきていること周知の処です。果たせるかなトヨタも3月6日、英国の欧州離脱が「合意なき離脱」の場合、2023年以降に英国の生産から撤退する可能性を明らかとしたのです。

メイ英首相は、ホンダに対して失望の念を表明したという事の由ですが、失望するのはむしろメイ政権の迷走です。2月20日付、Financial Times社説で、`Honda sounds a further Brexit warning to Britain ‘として、ホンダの決定は英国にとって、BREXITへの更なる警鐘をならすもので、英国のEU離脱は無責任な行為と激しく批判を向けていたのです。そして、翌2月21日付けFinancial Timesでは同紙コメンテーターのJohn Gapper氏は ‘ Brexit betrays Thatcher’s car industry legacy ’と題して、BREXITはサッチャー元首相が残した英国自動車産業の再興という功績に背を向けるもので、ホンダの決定こそは日本の自動車会社の存在感の大きさに気が付かせたようだが、それはもう手遅れとなったと語る処です。そこで序でながら、同氏のコメント(概要)を紹介しておきたいと思います。

― 「1980年代、EU単一市場へのアクセスのしやすさを掲げ日本企業を誘致した故サッチャー元首相なら、どう思っただろうかと、言葉はややさみしく響く処です。そして前述、ほんだの八郷社長が記者会見で、この決定は英国のEU離脱とは関係ないと「配慮」を見せたがスウインドン工場は1993年の単一市場発足の直前に操業を始めたが、「離脱」まで6週間を切る中での発表が何を物語るかは明らかだ、というのです。そして、外国企業の力で自国自動車産業を復活したのに、それが無に帰すのは悲劇をスローモーションで見る様だ」と.。そして、
―「日本の自動車各社は英国が欧州事業の安定拠点になると信じてサッチャー元首相の政策を強力に後押しし、英自動車産業を生き返らせた。その結果、業界全体で17年には生産台数が170万台、エンジンは270万基に達し、直接・間接の雇用者は85万人となったと、云うのです。そして、この恩恵を受けたのがスウインドンだったが、国民投票では離脱支持が54.7%と過半数を占めていたが、住民は経済の構造転換に成功したこの地をホンダが離れるなど夢にも思わなかったのだろうと彼らの行動にがっかりするのでした。そしてスウイドンだけでなく自動車産業で働く多くの英国人が離脱派に丸め込まれて投票し、自らの首を絞める結果になったのはなんと残酷な話ではと、まさに cruelest aspect だ」と締めるのでしたが、国民投票という民主主義の現実を改めて感じさせられる処です。

(2)BREXIT問題、迷走するメイ政権

では、数日と迫ったBrexitの行方は? 英国のEU離脱案に対する英議会下院での審議状況は以下(注)の次第で、とにかく「合意なき離脱」は回避する事が確認され、3月29日の離脱期限については、メイ首相はEU離脱に係るEU基本条約(リスボン条約)第50条に照らし、6月末までの延期は許されるとして、EU側に離脱期限を3月29日から6月末に延期するよう要請。20日、その旨を英議会下院の党首討論で、明らかにしたのです。尚、EUと先に合意した離脱案を前提に6月末までの短期延期を、この間に離脱案の批准に必要な関連法の整備を進めんとしていると伝えられていました。
 
(注)英議会下院での審議の推移
・3月12日、英議会下院は、メイ首相がその前夜、EUのユンケル委員長との間で纏め上げた離脱案
を反対多数で再び否決。1月に続く離脱案の否決で予定通り3月末の円滑離脱は極めて困難に。
・3月13日、英議会は「合意なき離脱」に反対する動議を賛成多数で可決。
・3月14日、議会は29日に迫ったEUからの離脱を延期する政府動議を可決
  ・3月20日、メイ首相はEUに、離脱延期を要請(英議会下院での党首討論席上、明言)

然し、21~22日に開かれたEU首脳会議(除く英国)では、英国の要請を却下。代えて離脱タイミングについて「英とEUが纏めた離脱合意案を英議会が(来週中にも)可決すれば、(5月23~26 日、欧州議会選の予定があり)5月22日まで延期して離脱を実行させる。可決できなければ(英国が欧州議会に参加するか決める要ありで、EUとしては)4月12日まで延期し、その後の方針を示すよう英国に求める」ものでした。 決められない政治を続ける英国に対し、方向性を明示するよう迫ったものと言えます。 つまり、離脱期限が迫っても国内の合意形成ができないままの英国に、EU首脳らは態度を硬化させているという処でしょうか。実は、首脳会議直前の19日には英国を除く27加盟国の外相らによる総務理事会を開き、英離脱への対応を協議しており、バルニエ首席交渉官は英国に、離脱時期の延期をもとめるならば、21日の首脳会議前に具体的な計画を示すよう要求したと、報じられていたのです。

メイ首相はEU首脳会議での決定に対して「EUと合意した離脱案を国民に届けることに全力を注入する」と語っていましたが、英議会で過去2回否決された離脱案が3月末までに可決される保証はなく、とりわけ離脱案では英領北アイルランドとEU側との国境管理の問題を詰め切れず、EU離脱後に決着をはかる先送りの内容にしたことなど、問題含みのままにあるのです。

・決められないメイ政治が映すこと
一つには、与野党両党首の変心が、そうした結果を生んでいるという事です。つまり、これまでメイ首相は、EUとの合意の有無にかかわらず、英国は3月29日に離脱を決行すると云ってきましたが、2月26日、同首相は議会に対して離脱期限の延長を要求することを認める旨を明言。一方、EU離脱の是非を問う国民投票の再実施を支持すべきとする党内の声をこれまで退けてきた労働党のジュレミー・コービン党首は方針を変え、労働党は国民投票を支持すると明言したのです。こうした離脱方針の180度転換が示唆することは、両党首の政党内での求心力の低下であり、その結果として英政治の求心力が低下してきたことが挙げられると云うものです。

もう一つは英国のこれまでの政治の生業がそうさせてきたと云うものでしょう。そもそも、英国では階級社会が底流にあり、労働党や野党の左派より保守系のメイ政権がましだと、する空気が強いと言われています。以って弱いメイ氏が政権を維持できるという事でしょうが、議会を纏める力に欠けるとされる処、EUと折衝を繰り返していけば何らかの譲歩が得られるとしていたのでしょうが、EUとの力関係はとっくに逆転しているのです。時代錯誤の発想に捉われ、時間を空費する、世界のグローバル化を牽引してきた英国が今や、日本企業からも目を覚ませと言われる始末。現実を無視したナショナリズムに浸り、何時までも決断を避けるなら英国の没落に拍車がかかる事になるのではと、危機感すら高まる処です。

さて4月12日までにどんな展開が予想されるものか。まさにWhatever next? (The Economist, Mar.16) と云う処です。

・本稿のシナリオ
BREXITの行方は従って、まだまだ何とも言えませんが、英国民はどうしてEU離脱をきめたのか、そしてどういった国のかたちを求めたのか、そもそも、そうした哲学を示す事のないままに、政治行動が進められてきたことが問題ではと思料するのです。BREXITの結論が出るまでには未だ時間がありましょう。そこで本稿では改めて、英国のEUからの離脱を決めた事情、その原点をレビューし、BREXITの行方を考えることとしたいと思います。 

尚、前述したようにBREXITはサッチャー元首相が英国に残した遺産を無にするものとの批判の噴出する処、今日の英国の生業は、とにかくサッチャーイズムの延長線上に置かれてきたと云うものです。偶々米論壇Project Syndicateに寄稿されたPola Subacchi氏, Senior fellow at Chatham House and Professor at Queen Mary University of Londonの2月15日付論考`The Road From Thatcherism’は、改めてサッチャーリズムの光と陰を語るものでした。そこでBREXITの結論が出る迄の時間、当該論考をベースに、サッチャーリズムを再レビューしておきたいと思います。

加えて同論壇には、3月4日付でEmmanuel Macron仏大統領による論考「Renewing Europe(欧州再興)」が寄せられています。それはGlobal powers がfair competitionの原則を愚弄する中、我々は黙ってはいられないと彼は、new revolutionary era of government interventionを宣言するのでしたが、それは今年1月、独仏両国が締結した独仏新条約、つまり「アーヘン条約」を文脈とする処と思料するのです。元よりマクロン氏が語る新改革については相応の論議を呼ぶ処です。そしてその姿こそは、混迷の欧州を映す処、この際はその概要を検証し、欧州の行方を考えてみたいと思います。



           第1章 なぜ英国は「EU離脱」に向かったか

1.英国が「脱EU」に動いた背景

(1)2016年の英国民投票

2016 年6月 23日、英国は国民投票を実施、その結果、EUからの離脱を決めました。投票結果は、離脱支持51.89%、残留支持48.11%と云う僅差でした。オバマ米大統領ら各国の指導者が残留を求め、IMFや世銀が離脱した場合の多大な経済的損失を警告する中での選択でした。当時、世界の目には、英国のEU離脱は政治的、経済的合理性を無視した「崖から飛び降りる行為」と映るものでした。

自らはEU支持者であったキャメロン英首相(当時)が国民投票を約束したのは2013年1月の事でした。当時、リーマンショックに連鎖して起きた欧州債務・ユーロ危機とEU域内からの移民急増のダブルパンチで、英国内の反大陸感情に火がついていた時でした。
議会では与党・保守党の欧州懐疑派がEU離脱を持ち出す一方、右翼政党「英国独立党(UKIP)が、やはりEU離脱と反移民を掲げ、統制を」拡大して保守党の支持基盤を侵食し始めていました。危機感を強めたキャメロン首相はそこでEU離脱の是非を問う国民投票を打ち出したのです。要は、欧州感情のガス抜きをはかり、保守党内の欧州懐疑論とポピュリズムの増殖の芽を摘む狙いがあったとされています。

キャメロン首相が国民投票を約した2013年以降、上述したように欧州は新たに二つの大きな危機に見舞われていました。2015年、シリアなどから100万人もの難民が欧州に押し寄せたみぞうの難民危機と、2015年11月のパリ同時多発テロなど、過激組織「イスラム国」の影響を受けたホームグローン・テロリストによる大規模テロの続発でした。一連の出来事は、EUが「開かれた国境」と云う理想を掲げながらも、統治能力、危機対処能力の欠如を白日の下に曝け出す処となったのです。事態は欧州各国で反EU・移民のポピュリスト政党の台頭に拍車をかけ、英国でもEU懐疑論を強めて行ったのです。

EU支持のキャメロン首相とて、EUの現状を肯定していた訳でなく、2016年には「EU改革」に向けた交渉を纏め、EUは規制緩和へ努力する等の譲歩案を引き出し、この譲歩案を御旗に党内結束を図り、国民の支持を売ることを習っていたのです。然し、譲歩案への評価は、実態何も変わらないなどと、芳しくなく、結果的に、保守党の下院議員330人の内ボリス・ジヨンソンロンドン市長(当時、下院議員を兼務)ら150人近くが離脱派に回り、その中には閣僚6人が含まれていたのです。離脱派の勢いはキャメロン氏の予想を超えるものとなっていたのです。

・国民投票向けキャンペーンと投票結果
キャメロン首相率いる残留派は主にEUの共通市場を失う事の「経済的損失」を訴える一方、ジョンソン市長、マイケル・ゴープ司法相(当時)らが率いる離脱派は「移民問題の悪影響」を強調、主権とEUへの拠出金(約85億ポンド)を取り戻すとアピールしたのです。
残留派支援のIMFやOECD等はマクロ経済的試算に基づく「巨大な損失」を公表したのです。OECDは「英国の2020年GDPは3.3%減少する」、IMFは「離脱の世界経済に与えるダメージ」を主張、等々でした。然しエスタブリッシュメント(支配層)側から出されるこうした警告は一部で「脅し戦略」と受け止められ、逆効果となったと云われています。

一方で、移民問題にフォーカスした離脱派のキャンペーンには、欧州難民危機やイスラム系移民の2、3世の若者によるパリやブルッセルでの大規模テロが追い風となっていったのです。 なお、国民の不安を煽る離脱派のキャンペーンに対して、キャメロン首相は、EU加盟を継続しながら移民問題にどう対処するのか具体的な対策を示すことが出来なかったことが、離脱派に塩を送る処となったというものです。

国民投票の結果は冒頭のように離脱派が僅少差で勝利したのですが、その内訳をみると、若年層は残留支持が、高齢者には離脱派が多かったこと、地域的にはイングランドで離脱支持が、スコットランドでは残留支持が多数を占め、イングランドでは首都ロンドンで残留支持が、北東部の工業地域など地方では離脱支持が優勢だったという事で、そこで国民投票は、地方的ナショナリズムと、都市的リベラリズムの対立と総括される処、いずれにせよ離脱の結果が出た最大の要因が、欧州移民急増に対する国民の不安にあったというものでしょう。が、ことの本質は、英国が門戸を開きながら移民を単なる労働力とみなし、決して歓迎することなく、一方で「国民の不満の声を放置してきたこと」こそが問題の本質ではと思料されるのです。この点は、目下安倍政権では外国労働者の移入をと旗を揚げていますが、英国のその姿は、対岸の火事ではありえない所です。

今次のBREXITを巡る英国民投票が発した警告の一つが、なんとしてもグローバル化が齎すさまざまな危機に対応するうえで、まず優先すべきはパーセプションギャップをしっかり把握する事の必要性ではと思料する処です。

(2)欧州統合プロジェクトと英国の方向性
統合プロジェクトは本来、二度と戦争を繰り返さないという不戦の理念から生まれた政治的所産です。その根幹にあるのは「主権国家は諸問題の解決に失敗した」という反省でした。ただ1973年にECに途中参加した英国にとって、統合は経済的なメリットを得るためのプロジェクトでしかなかったというものですし、従って英国は、欧州統合の二大偉業とされる単一通貨ユーロにも、国境審査を廃止するシェンゲン協定にも参加せず、特別な地位を享受してきたと言うものです。 

先のEU首脳会議では英国に対し、離脱合意を確実とするために、今後の「方向性」を明示するよう要請しています。その際は、上述国民投票の背景にある問題を踏んまえながら英国としてEUとの新たな関係をどう構築していくか、を示していく事となるのでしょうが、前述したように、旧来の思考様式にとらわれない、グローバル化する世界における国家主権、対外関係の在り方に、一つのモデルを示せるような方向を期待したいと思います。勿論、筆者の思いとしては、離脱への路線修正もためらうことなくと、付け加えたい処です。

2.サッチャーリズムの光と陰
―The road from Thatcherism

― 前述した通りロンドンChatham HouseフェローのPaola Subacchi 教授は今日の英国経済の生業
を規定してきたサッチャーリズムの足跡を追う事で、今後の経済のあり方、Post BREXITを考えていく上で有為な論考と思料するのです。そこで、多少長くなりますが、その内容(要約)を下記します。

(1) サッチャーのネオリベラリズム政治

・サッチャー政権(在任:1979~1990)
1979年5月、その4年前に保守党党首となったMargaret Thatcherは英国初の女性宰相に就いた。当初は男性議員からの嫌がらせを受けていたものの、サッチャー首相は史上最も影響力を持った、政治論争一杯のリーダーとされる政治家であり、その政策は、国家の果たす役割を抑え、市場の拡大強化を進め、つまりはレッセフェール、自由主義を大原則とするもので、まさに新時代の幕を切ったと指摘される処でした。
尚、米国では、短期間ながら、同じようなアプローチを以ってレーガン政権が登壇、サッチャーリズム同様、レーガニズムと称され、まさに市場原理主義を掲げるサッチャー、レーガン主義が深く根ざす形で、先進国、途上国に広く浸透していったのです。

サッチャーが首相に就任した当時、英国は国内的には分断された状況にあり、経済は停滞したまま、当時、英国はSick Man of Europe (欧州の病める人)と呼ばれる存在だったのです。
1970年代中盤、英国はEuropean Economic Community (EEC:欧州経済共同体、EUの前身)に加盟すべきか否かの論争が起こり1974年には、これが英国議会を揺さぶる処、労働党政権は窮地に追い詰められ、1976年には英ポンドは対ドルで25%も減価、政府はこの結果、IMFから23億ポンド(39億ドル)の借り入れを余儀なくされて行ったのです。

このエピソードは、英国経済の有能な管理人とされてきた労働党の信用をいたく傷つける処、その後の政権は2桁インフレの抑制とcap wage (賃上げ上限) 英労働組合との対立構図を敷く処となっていったのです。1978年、不満一杯で迎えた冬場には、公共セクターの労働争議が国家を追い詰めるほどに蔓延し、既に有権者は体制の変更を受容する用意ありで、サッチャーは簡にして要を得たLabor isn’t workingの言を以ってその機会を窺う処だったのです。

・サッチャーの政策アドバイザー
さて、サッチャーは政権入りするや新保守主義政策を目指し、英国のInstitute of Economic Affairs (IEA)や米国のヘリテージ・フアンデーションといったpro-market think tank(市場主義シンクタンク)の力を借りながら政策の構築を進めていった。そして、彼女は社会主義をliberty(自由主義)の脅威と考える保守主義エコノミストや政治哲学者から成るチームを編成する一方、彼女のアドバイザーには、労働組合のそれまでの特権構造の改革が必要と、その前線に立つ政策推進者やジャーナリストが配された。加えて重要なことは、彼女はハイエクやミルトン・フリードマンに強く影響を受けていたIEA Economistに大きく依存していた事だった。彼らを強く結びつけていたのが、政府による規制介入の排除や、cronyism(談合的仲間意識)、rent seeking (利益誘導型政策)の排除であり、それこそは国家のリスクと位置付けるものだったと、いうのです。

・TINA:サッチャーの行動様式
サッチャーは、変化の激しい環境と対峙するためにとnew -conservative agenda ―当時の英国の課題として、インフレの抑制、雇用の拡大、そして経済の再生、を発表します。1982年、米国のジャーナリスト、Charles Peters はそれを` A Neo-Liberal’s Manifesto’と評していますが、要は、英国の `indifference to performance’ 政策行動への無関心さが、産業も政府をも、蝕んでいったと指摘するのでしたが、そこでサッチャーは、あの有名な言葉TINA(There is no alternative:もうやるきゃない)を以って改革への行動に出たのです。

英経済再生へのソルーションは、社会福祉厚生費の削減、労働組合の力の削減、賃金の抑制、政府企業の民営化、そして減税の実施でした。まず1979年には、50社以上の公共企業を売却、それには当時、経営難にあったBritish AirwaysやBritish Petroleum ,British Gas, and British Telecommunication 等、英国にとっては象徴的企業が売りに出され、1989年までには、民営化が進められた結果240億ポンド(490億ドル)が政府に入った由でしたが、その資金は教育や国の建設プロジェクトに回すことなく、彼女は減税分に引き当てのです。高所得者は、当時、それまで税金は83%を余儀なくされていましたが、1980年代には税負担は40%までに引き下げられています

それ以降、効率的市場と云うパラダイムが西欧におけるあらゆる経済政策論議を支配する処となり、因みに英国ではマーケット主導な政策と財政の透明化が、言うなれば政治におけるde rigueur(経典)になっていったと言うのです。因みに英国では、労働党のトニー・ブレアー首相が金融規制緩和を進め、米国では民主党のビル・クリントン大統領がウオール街の規制緩和を進める一方、社会保障費の削減を進めていっています。

然し、neoliberal revolution、新自由主義革命は、何時しか英国経済に齎した強力な成長に影を落とす処、1980~1989年では、年率平均成長率は2.6%、ちょうど1970~1979年のそれと同じ様相となったのですが、この間の両者の違いは産業構造の変化でした。つまり1948年、英国のGDPの42%は製造部門に負うもので、15%がサービス部門でしたが、これが今ではGDPの79%がサービス部門、製造部門は15%に減少。そして1978年と2008年の比較では、製造部門で400万件のジョッブが消え、この非工業化ともいうべき変化は特に英国の北部で進んだが、それこそは産業革命発祥の地域だと言うのでした。

勿論、サービス部門では色々なジョッブが生まれ、ホテル、レストラン、情報技術、メデイア、金融そしてビジネスサービスもと、いう事ですが、実はそれらはロンドンとsoutheast に集中し、そこでは生産性の高さ、従って給料もいい、但し、高い技術水準が問われる処ですが、その他は、技術水準の問われない、従って低賃金に置かれ、賃金分配で云えば最低水準を託つ処となっていると指摘します。

技術的には、新自由主義は労働市場におけるderegulationやde-unionizationを通して完全雇用達成を目指す、これこそは戦後ケインズ政策が目指す処だったが、サッチャーやレーガンやその後継者は、それにはあまり注意を払う事はなかったと。つまり、ケインズ政策は広く繁栄をもたらしたわけでもなく又、公平な分配を齎すこともなく、実際、労働者は、低賃金、高生活コストに見舞われ、貧困を余儀なくする処となっているのです。因みに、ホームレスは2010年以来60%まで増加している由です。

・サッチャー金融規制緩和の帰結
前述、新自由主義のagendaは、自由貿易、国際的市場統合(まさにglobalization)に関わるものですが、その規範にあるのが常に金融規制緩和であって、サッチャー革命以来、金融技術の進化が、なによりも市場の失敗のソリューションだったというのです。爾来、世界はサッチャーリズムに符合する如くに金融規制緩和を進めてきたのですが、そのプロセスではリーマンショックを生み、今では世界経済は減速傾向を鮮明としてきています。そこで、日米欧で置かれた状況は異なるものの、金融政策の効果と副作用の両方にっ目配りしながら景気の過度の落ち込みを防ぐ難しい手綱さばきが求められる処となっている処です。

(2) Thatcherism’s Global Legacy

・サッチャーリズムの光と陰
サッチャーリズムの国際的実績の如何ですが、過去40年間における貿易の拡大こそは経済成長に、同時に世界のあらゆる開発に、大いに貢献した事は紛れもない事実です。そして、中銀の独立性、財政規律の堅持、そして健全なガバナンスを枠組みとするマクロ経済は多くの諸国で安定と成長を担保するものでした。 然し問題は、こうした政策枠組みはグローバル化の中で分配の改善に及ぶものではなかった事が挙げられると言うのです。所得移転や地域産業政策は伝統的な製造地域の空洞化を緩和するものではあったが、同時にそうした変化に取り残された地域が多くあった事で、サッチャー後は、公共財関連への投資、或いは所得再分配が貧困や不平等を是正するものと認識されるようになっていったと言うのです。

つまり、金融規制緩和と云うレガシーは、今や陰の遺産ともされ2008年の危機こそはそれを語る処とされています。市場は自律的には機能を果たし得ず、と云うのも、それは既得権益やモラルハザード、更にはグリデイーな行為がそうした事態を齎すようになってきた為と云うのです。巨額納税者は、厳格な財政規律の下で、民間金融機関からの特別な救済を受けるが、このことは経済運営を阻害し、低所得世帯を傷つけ、最後には国の政治システムの正統性すら蝕む処とも指摘する処です。

ただ、新自由主義の立場からは、欧州諸国の債務危機がある限りにおいて、財政起立を厳しく求める処、例えば、ドイツのメルケル首相は、ギリシャに対して財政規律を厳しく求めてきましたが、その結果は、ギリシャ経済に破綻を齎し、長期に亘りドイツに対する怨嗟を持ち続ける結果となっている処ではあるのです。

・New -democracy革命への対抗
1979年、サッチャーは自由な、自己実現できる社会を目指す、ビジョンを掲げ、かの有名な`society’、新しい社会の創造を目指した。そこには男女の区別なく、個人があり、家族があり、政府はお呼びでなく国民は自らをfirstとするというものでした。

1970年代の経済危機とは違って、2008年の危機は、政治経済のラデイカルな在り方を問い質すようなことはなかったが、2016年に起きた事件、つまり、英国でのBREXIT国民投票であり、米国でのトランプ大統領の誕生は、国内にある種の自己満足を齎したとも言われるが、懸念される事は、分断された社会、或は社会的に無視されてきた大衆が時限爆弾となって、公的機関の弱体化、更には政治システムを全体的に弱体化させてしまうという事だというのです。

さて、こうしたサッチャーリズムの経験を通して言える事は、open market economiesを維持する事と、political stability を確実にしていく事にはトレード・オフがあり、その点で、サッチャーリズムは通じなくなっていると言うのです。民主的市民がliberal valueにコミットし続けていく事を可能としていく為には、政治的、経済的変化に対峙していく為に、一定の国家や公的機関による調整機能が必要である事を指摘し、それが結局は新たな社会の生業となる、と主張するのですが、改めて考えさせられる処です。



           第 2章 統合ヨーロッパの再生

マクロン仏大統領は、BREXITこそは欧州の危機を象徴するもので、それは人々の現代世界に起こる大きなショックから身を守る、そのニーズに応えることに失敗してきた事を印すもので、この際はfreedom, protection, progressを基軸として、ヨーロッパ再生のための一体化を図ることが必要と訴える論考「Renewing Europe」を3月4日付で、Project Syndicateに投稿しています。その概要を以下に紹介したいと思いますが、元より、相応の議論を呼ぶ処です。

ただこの論考が出された文脈としてあるのが、1月22日、ドイツのアーヘンで調印された独仏新友好条約、アーヘン条約ではと思料する処です。日本ではあまり注目されてはいませんがの環境としてはBREXITやユーロ危機などから、欧州統合への動きは既に過去のものだと見る向きのある処、この「アーヘン条約」は統合への歩みを続ける両国の意志を示すものとされていたためでした。そこでまず、この「アーヘン条約」のキモを確認しておきたいと思います。

1.独仏新友好条約:アーヘン条約

今年1月22日、調印された独仏新友好条約は、独仏の戦後和解の礎になったエリゼ条約(注)を補完し、政治・経済だけでなく軍事分野などで両国の連携強化を目指すとするもので、米国の通商政策を巡る対立やBREXIT問題でEUの結束が試される中、独仏両国は平和維持基盤であるEUを擁護する姿勢を明確にしたもので、その署名式にはトウスクEU大統領、ユンケル欧州委員長も出席したと伝えられています。

   (注)「エリゼ条約」:1963年、仏ドゴール大統領と西独(当時)アデナウアー首相との間で署名された独仏協力条約。戦後の独仏和解を確認した外交文書で欧州統合を主導する両国の「特別な関係」の土台となっているもの。

1月29日付Financial Timesで、W.Munchau記者は、`The relentless push towards EU integration’においてアーヘン条約を巡る独・仏関係について以下コメントをするのです。

つまり、英国に根深くした信念、欧州統合の黄金時代は既に過去のものとする点に照らし、欧州統合を否認し続けることは、現実の状況に合致しないとしながら、EUに残された問題、通貨同盟の将来について何らかの根本的な選択を示していく事の必要性や、金融危機から10年、実体経済においても金融部門に於いても、多くの問題が取り組まれないままに放置されている点で、政治改革が必要だと指摘する一方、トランプ米大統領がNATOからの脱退を繰り返し発言している事情をも踏まえ、独仏両政府は欧州の防衛についても考えざるを得ない環境に追い込まれている点で、アーヘン条約は序文の中で、フランスとドイツは「両国関係を新たな水準に(Bilateral relation to a new level)」に引き上げると宣言しているが、これはいつの日か、人々が他の事に気を取られている間に実現している事だろうと、云うのでしたが意味深と云うものです。

2.マクロン仏大統領の「統合欧州再生論」- Renewing Europe

さて、3月4日付でProject Syndicateに寄稿したマクロン大統領の統合欧州の再興論はまさに上記アーヘン条約をン文脈とするものと言えるのです。

まず彼は第2次世界大戦以降、欧州がessential(世界に欠くことのできない)存在となった事はなかった、でも危険極まりない存在でもなかったと切り出して言うのです。BREXIT
はそうしたことのヨーロッパの危機を象徴するものだが、今日の世界で起こるいろいろの問題から身を守ってくれと云う人々の声に応えることがなかった事が、そうして危機状態をも足らひてきているとして、彼は今そうしたヨーロッパについて、I propose we build this renewal together around three ambition : freedom , protection and progress.と、自由、保護、そして前進、を柱とした欧州の復興をと、提言するのです。

彼は第2次世界大戦以降、欧州がessential(世界に欠くことのできない)存在となった事はなかったがでも、危険極まりない存在でもなかったと切り出して言う。BREXITはそうしたことのヨーロッパの危機を象徴するもので、一種教訓だが、今日の世界で起こるいろいろの問題から身を守ってくれと云う人々の声に応えることがなかった事が、そうして危機状態を齎しているとして、彼は、I propose we build this renewal together around three ambition : freedom , protection and progress.と、自由、保護、そして前進、を柱とした欧州の復興をと、提唱するのです。

-Defend our freedom :creating a European Agency for the Protection of Democracies
-Protect our Continent :obligation of responsibility (stringent border controls)and solidarity
-Recover the Spirit of Progress :the new European Innovation Council (new technology)

この3本の柱の実現のため、年内にEUメンバー国と共にConference for Europe を開催し、これには市民のパネル、そしてacademics, business and labor representatives, and religious and spiritual leaders を呼び込んでいくという。そして最後に,こう締めるのです。
― In this Europe, the peoples will really take back control of their future. In this Europ, the United Kingdom, I am sure, will find its true place.

・マクロン宣言vs The Economist, Mar. 9th 「 L’Europe, c’est moi 」
マクロン氏が示すソリューションは論理と行動に整合性を欠く。例えば、鉄道事業での独シ―メンスと仏アーストンとの合併の裁定。いずれにせよ、activist industrial policyを追求するより、欧州はまず、consumer’sフアーストで進むべきであり、そのためには競争政策の強化が求められると云うのです。そしてマクロン氏が指摘する貿易の実態、市場のあり姿は中国の行動によって、最近では米国もそうだが、全くゆがめられた状態にあるとは正しい認識であり、欧州はこうした過ちを決して犯すべきではないこと。そしてかつてのフランスの資質ともされていた統制経済政策、これは欧州に根付いているが、これを拒否すべきと指摘するのです。さて如何様にことは進む事になるものかです。



おわりに 景気の転換点で考える

・今、経済指標が語ること
3月20日、政府が公表した月例経済報告によると、景気の総括判断として「このところ輸出や生産の一部に弱さも見られるが、穏やかに回復している」としていますし、3月15日の日銀金融政策会合後の記者会見では黒田総裁も、「経済は穏やかに拡大している」との景気判断を崩してはいません。
然し、3月7日、内閣府が公表した景気動向指標では景気の下方への局面変化を示唆する処となっています。当該指標算出に使う9つの統計は4つが生産・出荷関連で、輸出減に伴う製造業の減速が反映しているとも説明されていますが、どうも安倍政権も日銀も景気の後退入りと云う判断にはかなり慎重です。仮に後退入りを認めると、何らかの景気対策を求められることになるからでしょう。加えて、1月まで拡大局面が続いたとなれば戦後最長という事で現政権のレジェンドとなる処、これも忖度?のなせる判断という処でしょうか。金融政策にしても今以上に打つ手なしの状況にある処、景気は明らかに転換点にあるのです。

・実感伴わぬ景気拡大
ただ、これまでの回復云々にしては、その実感が乏しい事は大方の一致する処です。
因みに筆者が主宰する社会人研究会では、塾生異口同音に企業は利益を上げているが給与はほとんど上がらず、つまりは景気回復の恩恵に我々は浴していないと批判するのです。

1997年、山一證券を倒産に追いやった金融危機以降、日本はデフレ環境に置かれ、物価や賃金は鈍化、爾来GDPは当時の534兆円の水準を超えることはなく、このデフレ克服のためには需要の拡大が必要という事とし、この点、2013年から本格稼働したアベノミクスは、需要を喚起する上で効果的だったと云え、爾来、GDPは500兆レベルに復帰、2015年12月には、第二次安倍政権発足と同時に2020年、600兆円達成を掲げ今日に至っています。然し、上述の通り、何としてもその実感が持てないままに推移してきているのです。

これまでマクロ経済としては財政による需要喚起策と異次元と云われた金融緩和で、乗り越え、そのおかげを以って企業収益や株価も好調に推移してきた事周知の処です。然しそれにも限界が出てきており、加えて不確実さを増す世界経済の環境をも踏まえるとき、企業経営者はまさにリスクマネジメントとして積極的な投資を控え、従来からのビジネス・ステークの確保に回ってきたとされる処です。そうした企業の行動様式が結果として元気になったと云う実感を伴わないという事の背景です。本来持続的な経済の拡大を期す上では需要サイドの力と供給サイドから見た成長力が伴って、初めて可能となるものです。という事は問題の根っこは供給サイドの不調にあるといういう事でしょう。その象徴が潜在成長率で、それが日本の場合、1%前後で低迷しているという事で、今、再び生産性向上が云々される処となっています。

・生産函数で考える
国内総生産、GDPの供給サイドとは資本(K)や労働(L)などの生産要素の投入によってどの程度の供給力(P)があるかを示すものですが、技術レベル(a)と併せ、それは生産函数、P=a ・f(K,L)として単純表記が可能です。この式から言える事は、労働力人口は今後ますます減少していく事が想定され、一方の資本は新規の事業に向かう投資活動が楽観できない状況に在っては、生産活動拡大への期待は極めて難しくなるという事でしょう。であれば上記式にあるa、つまり技術革新が戦略的に行われていく事が不可避と云うものです。これには規制緩和や成長戦略等、政府にも大いなる役割が期待される処ですが、何よりも企業自らが行動することが不可欠と云え、これなくして生産性や付加価値を本格的に上げることはできなと云うものです。それはまさにデジタル革命を我田に引き寄せる如きと思料するのです。(2019/3/26 記)
posted by 林川眞善 at 20:37| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする